赤子を寝かしつける方法 第2回「赤子とつきあうために/対話篇」


赤子を寝かしつける方法 第1回「長い話」からの続き。

大学時代、哲学で心身一元論というのを習った。人の心は体(主に脳)と一体であり、「心と体」という区分はないとする考え方だ。

人間の心は動作に現れ、逆に、動作に現れない心は伺い知ることなどできない。発声による対話に慣れてしまうとそれ以外の部分は忘れがちだが、人のいかなる動作も内的な心性の表れであることに違いはない。
赤子との対話は、まさにこの身体の表現を読み解くことから始めないといけない。赤子に発話はない。しかし、ボディランゲージは、ある。

『サトラレ』という漫画がある。設定の詳細は省くが、雑誌でたまたま読んだ第24話「サトラレとつきあうために」という回に、将棋棋士の宮本名人が、幼稚園ですれ違った家族連れのささやかな言動から、彼らの考えを読み解くシーンが印象的だった。棋士としての鋭い洞察もさることながら、「人は皆、心が動作に現れるもので、人もサトラレも大同小異である」という発想が面白い。

作品のナレーションは「しぐさや行動から/ほんの少しずつ相手の気持ちがもれでて来るのが解るハズです」と締めくくっている。

また『拳児』という拳法漫画では、主人公が聴勁(ちょうけい)の修業をするシーンが面白かった。聴勁というのは、相手との接触点から相手の動きを読み解く技術である。すごく簡単に言うと、目隠しして右手で握手をした状態で、相手の左手(あるいは全身)の動きを察知するようなことだ。

拳児に聴勁を教える陳諸才という老人は「長年、聴勁の練習を正しくやっていれば、人の心は読みとりやすくなるんだ」と言っている。拳児はさらりと「へー、恐ろしいもんですね」みたいな相づちを打っていて、信じてんだか信じてないんだかわかんないが、私は割と納得できる気がした。相手の身体の動きを繊細に察知するということは、相手の心の動きを知ることにつながっている。

赤ん坊を寝かせようとする時に、世間の人は、どのくらい真剣に、赤ん坊の身になって考えているんだろうか。私は割と真剣だ。3ヶ月の娘が何を考え、どうしたいと思っていて、何が不満なのか、常に考えながら、娘に集中している。時にはカミさんに話しかけられても意図的に無視するくらい、娘の一挙手一投足に集中し、娘に与える刺激をコントロールしようとする。その間は、声も、動作も、すべて娘を寝かせるためだけにある。

娘は眠そうにする時もあるし、泣き出す時もあるし、視線は何かを追っているし、こちらが揺すって一瞬落ち着く時もあるし、布団に背中が触れた瞬間に反発する時もある。それらすべてが彼女の言葉であり、私はそれを読み解き、なおかつ反論あるいは説得して(もちろん非言語コミュニケーションで)、時にはだましだまし丸め込んで、彼女を眠らせなければならない。

というのが、私が娘を眠らせるにあたって、必須と考える思想である。

赤子を寝かしつける方法 第3回「眠れぬ者への眠りの贈り手」

4件のコメント

  1. ピンバック:赤子を寝かしつける方法 第1回「長い長い話」 - Monologue - Mogalogue (モノローグ・もがろーぐ。)

  2. ピンバック:赤子を寝かしつける方法 第3回「眠れぬ者への眠りの贈り手」 - Monologue - Mogalogue (モノローグ・もがろーぐ。)

  3. ピンバック:赤子を寝かしつける方法 第1回「長い長い話」 - 74th Heaven

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