電車の中でケータイゲームする人が魅力的に見えない

先日、電車の中でケータイゲームをする人を見かけて、こんな風につぶやいた。

隣の女性がすごい勢いでケータイゲーム中。俺、自分でゲーム大好きなくせに、なんで車内でケータイゲームやってる人見ると無駄に思えちゃうんだろう。理性ではパネポンやぷよぷよと何ら違わないはずだけど、生理的にだめ。それでいて自分でケータイゲームするのは別にヤじゃないような…(身勝手
→via Twitter / @mogami74

なんでケータイゲームをする人を見ると無駄に思えてしまうのか。不思議だ。

自分でやることを考えると、別に嫌じゃないのだ。悪いイメージではないのだ。でも、誰かがやっているのを見ると、なぜだか生理的・反射的にイラッとくる。

よくよく考えてみると、私が自分で車内ではケータイゲームをしないことがわかる。イメージの上では、嫌じゃない。でも、もしも私がやったら、熱中して電車を降りることができなくなってしまうだろう。だから、私がケータイゲームをするはずがない。「自分でやるのは嫌じゃない」は机上の空論で、現実にはありえない。

5分でできること、あるいは車内でできること、と考えた時に、私だったらゲームは候補に挙がらない。片手間にやるにはゲームは楽し過ぎるのだ。あるいはゲームを愛し過ぎる。
高橋名人は「ゲームは1日1時間」という言葉で有名だが、その彼でさえ、RPGなど長時間がかかるゲームが増えて「2時間くらいまでは認めないと、ゲームが楽しめない」という結論に達したという。ゲームを真面目にやろうと思ったら、1時間や2時間、すぐなのだ。

電車の中で10分やそこらでできるゲームなど、ろくすっぽゲームではない。半端過ぎる。だから私は、ケータイゲームをする人が嫌なのだ。ケータイゲームをする人は、ゲームなどちっとも好きでないに違いない。
たぶん、ゲームにもよるのだ。育成型のゲーム、たとえばたまごっちのようなものをやっているのなら、気にならない。5分でもゲームとして成果が得られそうだから。でも落ちモノとか何か5分で上達もしなければ成果もない、というようなものをやっていると特にイライラする。

友人は、なぜかみんな姿勢が悪くて素敵に見えない、といったようなことを言っていた。言われてみれば、このツイートをした時に見た女性も、憑かれたようにプレイしていてとても魅力的な人間に見えなかった。何かそういう点でも、ケータイゲームをするクラスタに共通点がありそうな気がする。

逆に、電車の中でできることって、なんだろう? やってて魅力的に見えることって?

電車の中でケータイゲームする人が魅力的に見えない

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