池澤夏樹『きみのためのバラ』『池澤夏樹の旅日記』刊行記念 朗読&トークショー


短編集『きみのためのバラ』(新潮社)、エッセイ『池澤夏樹の旅地図』(世界文化社)2冊の刊行記念として行われた、池澤夏樹 朗読+トークショーに行ってきた。会場は青山の青山ブックセンター。14時開演。
正直、池澤夏樹氏の作品にあまり親しんでいるとは言えない。友人に勧められた『マシアス・ギリの失脚』を途中まで読んで投げ出してしまったくらいで。
初めて見る池澤氏は、眼光鋭い初老のおじさんだった。文学者にしては、人前で喋り慣れた感じがする。声もはっきりしており、話す言葉もわかりやすい。
2つの書籍に関する裏話というか、作家が何を考えていたのか、そういった所感を交えつつ、朗読をするという感じで、最後には質問コーナーもあった。



池澤氏によると、この2つの本は、短編集とエッセイというまったく違った形式でありながら、実は密接な関わりがある、とのこと。

旅の生活をしながら文筆業を続けている池澤氏を知る上で、この2冊は基礎編と応用編のような関係にあるのじゃないか、という。どっちが基礎編なんだか、忘れたけど。

『きみのためのバラ』は短編集で、世界のあちこちに舞台を移していく。東京、バリ、沖縄、ブラジル、パリ、カナダの島、メキシコといったように。

一方、『池澤夏樹の旅地図』は北海道新聞に連載されていたエッセイ。自分のことは題材にしないポリシーを持っている池澤氏が、しかし唯一、自分が少年時代を過ごした帯広のことを書きたいと願い、執筆。ポリシーに反する作品ということであまり広く公開されず、北海道新聞十勝版にのみ掲載されていた。

広い十勝平野の真ん中にある帯広という街は、地平のかなたにかろうじて山が見える。その広い平野を横切る汽車。これこそが、池澤氏の原風景である、という。

この地形が、彼に「自分は汽車に乗ってどこかへ行くことができる」「世界は制覇できないが踏破はできる」という感覚を持たせるに至ったのだという。松本零士が聞いたら共感するかもしれない(もっとも松本零士は九州出身だから、広い平野なんぞありゃせんが)。

朗読は3つ。

「帯広1990」から鉄道関係の記述を朗読。

次に、今回の2冊には含まれていない作品だが、『切符をなくして』から子どもがSLの機関車を体験するシーン。

そして『きみのためのバラ』から表題作「きみのためのバラ」をまるごと朗読。

なお朗読をする時に、その作品を自前で用意して一緒に目で追っている人がいるが、それはオススメしない、とのこと。

  1. 1)字面を追うことになって、よろしくない。(読み間違いがバレるので、というのは冗談にしても)
  2. 2)朗読をする際には朗読版を作っているので、出版されているものとは内容が異なる。なんと、朗読用に原稿を書き直しておられるらしい。「耳で聞いてわかりづらい単語などは書き直している」とのこと。
  3. 3)耳で聞いて情景が浮かぶ朗読を心がけている

以上の理由から、耳で聞いた印象を持ち帰って欲しいとのこと。

短編に関する話が興味深く、印象に残った。

「きみのためのバラ」ではレメディウスという名前の少女が登場するんだけれど、「この作品は名前で決まる」と考えて、慎重に選んだのだそうだ。たしかに、印象深く、美しい名前だ。英語でremedyと言えば回復、治療、改善……といった意味だから、そういう意味を読み込むこともできる。

池澤氏は、短編は技術だ、と語った。思想を含んだ短編もあるにはあるけれども、基本的には技術によるものだという。材料を揃えて、磨いて、ネジで止めて、組み立てていく。この短編の場合、少女の名前が中心の宝石になる。だからとても慎重に決める必要があった、ということだった。

この後、質問コーナー。印象深いのは以下。

◆観光イメージを作ることの罪深さ
ハワイのいいところを書く、あるいは沖縄のいいところを書く。それは本当に地元のためになるのか。観光が土地を“消費して”しまう。それは本当に地元の人が望むことなのか。
旅をして文章を書くことについて、自己批判を感じる。自分の文章の重大な課題。
◆全集について
自分が選んだ文学全集を出版する予定。1950年代以降の作品を中心に。一応「世界」という名を冠しているので海外の作品が多く入る。
叢書であれば巻数を限ることなく増やしていけるんだけれど、全集として巻数を限ることで、平均点が上がるのではないかと考えている。
文学を書く人のための支援キットになるかもしれない。教養主義的な「ほかの人たちはどのように書いてきたのか」という疑問への答え。

総じて面白く、興味深いトークショーだった。


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