『主人公は僕だった』出演:ウィル・フェレル マギー・ギレンホール ダスティン・ホフマン

stranger01.jpgよみうりホールで行われた『主人公は僕だった』(原題”STRANGER THAN FICTION”)の試写会に行ってきた。
ある日突然、自分を描写する作者の声が聞こえるようになった主人公の戸惑いと、自分の物語の行方に対する不安、そして彼の人生における劇的な変化を描く。
アイデアは奇抜で面白いし、役者の演技はいいし、随所で予想を裏切る展開は楽しめる。ただ、全体にちょっと中途半端で、コメディにしてはそう笑えないし、ドラマにしてはちょっと盛り上がらない。
公式サイトによると、ダスティン・ホフマンは「(人生は)シリアスなコメディ。この作品もそうだ」と語ったそうだから、この作品はコメディなんだろうな。ヒルバート教授が語っていた喜劇と悲劇の定義に照らしても、コメディだし。
■主人公は僕だった – オフィシャルサイト
レビュー ★★★

人生のストーリーを書き直したいすべての人に贈る、奇想天外で心温まる感動作。

以下ネタバレ



stranger02.jpgハロルド・クリックは国税庁に勤める役人。数字にめっぽう強く、自分の歯磨きのブラッシングの回数やバス停までの歩数を数え、分単位で規則正しく生活を送る。友人も少なく、毎日毎日を職場と家の往復で過ごしている。
ところがある日突然、女性の声が聞こえ始める。その声は彼の生活、彼の行動、彼の恋愛感情など、すべてを逐一描写し始める。しかもその声は他の誰にも聞こえないのだ。周囲は彼の幻聴だと考え、休暇をとるよう勧める。しかし彼は、誰かが自分の物語を語っている、ということを直感していた。語り手の声が「彼に死が待っている」と語るに至って、ハロルドは仰天。慌てて文学者のヒルバート教授に助けを求め、作者探しに奔走する。
のっけから予想外の展開が楽しい。ハロルドが自分に聞こえる女性の声(ナレーション)にびっくりし、「誰だ?」と叫ぶシーンは絶妙の間で笑える。
「登場人物とナレーターが会話をする」というあり得ないシチュエーションは、カートゥーンにヒントを得たのかな、と思う。『トムとジェリー』とか『ドナルド・ダック』などのカートゥーンでは、キャラクターがナレーションにケチを付けたり、反論したりといったことがよくある。ああいった感じで笑える。
ウィル・フェレル、ダスティン・ホフマン、エマ・トンプソンなど役者の演技もいい。そこここで気の利いたシーンを演じていて、魅力的だ。
ただ、作品全体で見ると、盛り上がりが足りない。「自分が主人公だった」というアイデアはいいと思うんだけど、どうも生かし切れてない。コメディにしては抱腹絶倒というシーンがあまりない。ドラマにしては、泣けない。ちょっと中途半端な印象。
内容はいわば不条理劇で、結局、作家カレン・アイフルの物語がハロルド・クリックにつながってしまった理由は不明のまま。これもちょっとした不満につながる。だってこれじゃ、この後、カレン・アイフルは悲劇作家としては物語を書けなくなってしまうんじゃないかと思う。そういった後日談に触れてないのも物足りないし。
あと、設定にケチをつけてもしょうがないんだけど、観客が予想する設定とズレてしまうのがつらいかな、と思う。「主人公にナレーションが聞こえる」というと、普通の人は違うレベルの存在を想定すると思うんだよね。神と人間、あるいは人間と箱庭、みたいな「巨大な存在vs小さな存在」という関係を想像してしまう。ハロルドの生きている世界に対して、もっと巨大な世界が存在し、そこに作家がいるものと考える。だから作家は、登場人物に対して絶対的な影響力を持っているんだもの。
ところが、この作品では、主人公と作家が同じレベル、同じ世界に存在していて、観客の予想を裏切る。と同時に、変な違和感を感じさせる。システムが理解できないからね。カレン・アイフルの執筆はすべてこの世の誰かに影響を及ぼすのか? だとすれば彼女は何? 超能力? デスノート? これまでの作品でも誰か死んでるの?
そういった部分で疑問を抱かせてしまっているので、素直に結末を楽しめない。
ちなみにこの映画と同種のネタとして連想したのは、星新一のショートショートだった。主人公は自分がこの物語の主人公だということを知っているのだが、何も物語が発展せず、途方に暮れる。いったい作者は何をやってるんだ? そうぼやきながら町をうろつき、事件を探すという話。たいした起承転結もなく終わってしまうショートショートなんだけどね。
ところで、劇中でカレン・アイフルが執筆している作品『死と税金』は、果たしてあれで“希代の名作”になりうるのかなぁ。はなはだ疑問だ。ジュールズ教授が言った通り、ハロルドの人生が文学になるとは思えないんだけど。あの後の彼の変化を通してでさえ。
カレン・アイフルは「これまで8人も殺した」と言うけれど、思ったよりも少なくて、聞いて拍子抜けしてしまった。ペニーはすぐ何か言うべきだった。「アガサ・クリスティは30人以上ですよ」とかなんとか。
一発ギャグとしては、「両手一杯のフラワー」は面白かったんだけどなぁ。あとTIMEXの時計がキュートですごく良かった。寡黙だけれど、いいヤツだ。
■主人公は僕だった
◆出演
ウィル・フェレル as ハロルド・クリック
マギー・ギレンホール as アナ・パスカル
ダスティン・ホフマン as ジュールズ・ヒルバート教授
クイーン・ラティファ as ペニー・エッシャー
エマ・トンプソン as カレン・アイフル
◆監督
マーク・フォースター
◆脚本
ザック・ヘルム
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