『バベル』ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、役所広司、菊地凛子

モロッコ、サンディエゴ~メキシコ国境、東京。世界の異なる3カ所で起きる事件が緩やかなつながりを持ってつづられる。


陰影の濃い、印象的な絵を撮るなぁ、という感じ。絵が印象的だ。
1丁のライフルがもたらした波紋が、3つの場所で(4つのグループに)異なる物語を描き出す。

この映画を見て思い出したのは、『This Day 希望の一日』という写真集だ。オバマ氏が米大統領に就任した2009年1月20日に世界中で撮影された写真を集めた写真集。地球全体を2009年1月20日という時間で切り取ったこの写真集は、世界中のあらゆる生活が同時に進行している、同時性を見せてくれる。それは当たり前のことでありながら、目の当たりにすると不思議な感覚だ。人は(少なくとも私は)あくまでも個人的な生き物なので、自分以外の人間が生きていることを頭では理解しながら納得できないし、ましてそれが世界中で、65億もの人間が同時に生活を送っていることを、把握したり納得したりはできない。ただ不思議な感じがする。
『BABEL』がもたらしたのはそれに似た感覚だった。つまり、この4つのグループの物語は、一つだけを見ればある国で起きた小さな事件に過ぎないのだけれど、それはすべて、一つのライフルがもたらした結果で、実はつながっている。この映画は「世界中の事件は、こうして実はどこかでつながっているに違いない」という提言なのではなかろうか。
ライフルの聞き込みで刑事が女子高生に会う時、メキシコ国境では酔っぱらった運転手が国境を強行突破する。どんなに遠くの国で、どんなにかけ離れて起きたかに見える、どんなに大きな紛争も、どんなに小さな問題も、どこかでつながっている。それがこの惑星のありようなのではないだろうか。

彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。
 「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉を聞き分けられぬようにしてしまおう。」
 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
――『旧約聖書(新共同訳)』創世記11章より

『バベル』ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、役所広司、菊地凛子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です