亥の話


 僕の友人である亥の話をしようと思う。彼は亥でありながらとても優秀で、人からも好かれる性質だったし、仕事も順調だった。彼のモットーは「亥の一番」ということで、何せ自分は亥ですから、と言って率先して何でもやった。その前向きさがとても良かった。
 ところが、去年の亥はどうも調子が悪かった。いつものような前向きさがなくて、煮え切らない。人間関係も今一つで、長年付き合った恋人ともぎくしゃくしているという。年越しの集まりにやってきた亥は心なしか元気がなくて、毛皮のつやも今一つだ。
「なぁ、どうしたんだよ? 最近の君は、どうも調子が悪いじゃないか」
そう言うと、亥は居心地悪そうに身体をもじもじと動かし、ひづめで土をいじった。
「実は去年、ある男から教わってね。『いの一番』っていうのは『いろは』の『い』が一番目だってことから来てるんで、『亥の一番』じゃないんだって。それを知って以来、『亥の一番』とは言いづらくてねぇ」
「じゃあ『亥の一番』は君のオリジナルってことにすりゃいいじゃないか」
「ま、そうなんだけど、どうも落ち着かないというか、よりどころがなくなったというか」
彼は鼻を鳴らし、頭をかいた。僕は辞典を持ってきて彼に渡した。
「そいつの言ったことが本当かどうか、わからないぜ」
「いや、辞典はもう見たんだ。たしかに『いろはのい』ということらしい」
彼は残念そうな顔でパラパラと辞典をめくった。その手がふと止まった。
「ん? これは……」
彼は食い入るように手元を見ている。僕もそこをのぞき込んだ。そこは「ち」の項目の終わりの方だった。
「『猪突猛進』か」
彼はそうつぶやくと、バタン、と辞典を閉じた。
「よし! さぁ行こう! どんどん行こう! 今年は、やるぞー!」
亥は大きな声でそう言うと、新年のお祝いの会場に戻っていった。向こうの方で口々に「新年おめでとう!」という声が聞こえ、どうやら僕らは年を越したらしかった。

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