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宝くじの外し方

宝くじ

星新一が「濡れ手で粟」についてエッセイを書いていたのを覚えている。もちろん私にとっても「濡れ手で粟」は一つの理想に違いない。

私の人生における「濡れ手で粟願望」の一つは「買わない宝くじが当たる」だ。宝くじというのは統計の期待値で見るととても割の合わない賭になるのだそうで、それでも成果を出そうと思ったら、英雄的な幸運が必要になる。買えば買うほど統計のデータに収束してしまうわけだから、買うのは戦略的に間違っている。だから、買わない方が正しい。英雄的な幸運をもってすれば、「買わないで当たる」くらいできそうではないか……もちろん「買って当たる」確率の方が「買わないで当たる」よりは高いであろうが、その違いは誤差の範囲ではなかろうか。

以前、何かの拍子に(たぶん、誰かと一緒にジョークの一環として)購入したことはある。人から宝くじを頂いたこともあり、「これはまさに千載一遇の『買わないで当たる』チャンス!」と意気込んだけれど、結果はもちろん外れであった。英雄的な幸運はまだ私に巡ってこない。

その時に思ったのだけれど、宝くじは外れた時のあっけなさがなんともいえず「再購入の意欲を削ぐ」という気がしている。外れた時に「よっしゃ! 次いくぞ!」と盛り上がれるメンタルがあればこれはだいぶ前向きで人生楽しそうだが、なかなかそうはなれない。「あーあ、やっぱり外れか」とがっかりし、「当たり前だ」と「そんなものだ」と思っていなけりゃ泣けてきます、と歌った中島みゆきタイプが普通だ。

外れた時に、「外れてよかった!」と思える宝くじがあったら、これは売れるのではなかろうか。

たとえば外れた番号を使ってwebサイトにアクセスすると、外れた人同士「残念だったね」と交流できる専用SNSに一定期間アクセスできるようにする。するとそこで人間関係が生まれ、中には「あのとき外れていなかったら出会えなかった」みたいなことが生まれ……

携帯ゲーム業界ではガチャの健全化が問題になっているが、あれこそアイデア次第で「外れてよかった!」と思わせられる案件だと思う。いくらでも案は出せるのではなかろうか。

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