なんとなく思うのであるが、スポーツ系の人がするマネジメントには、どうも常に同じようなバイアスがあるように感じる。それはどうも、スポーツという性質から導き出される結論に強く結びついているような気がする。
スポーツで成果を出す方法は、大枠では明快であり、シンプルだという気がする。違っていたらスマン。何せスポーツをしたことがないのでな。
自分で目標を設定する →自分の体を動かす
スポーツというのは、基本的にこの繰り返しによって成果を出していく。そして、これ以外の達成構造が、スポーツにはほとんどない。「自分で目標を設定しないが成果が出た」とか「自分の体を動かさなかったが成果が出た」というのはかなり希な事例であって、スポーツマネジメントの方法論に上がってこない。
この考え方から行くと、スポーツというものはほとんどが「内的モチベーション」に依っているのではないかと思おう。いや違ってたらスマンて。だって「やる気ないけどスポーツを続ける」という人は、あまりいないんじゃなかろうか。やる気ないなら止めればいいのだ。親が無理矢理、とかだったらまた別なのだが、そういうのもあまりスポーツマネジメントの方法論に上がってこない。『嫌がる子供を野球選手にする方法』なんて、あまり売れなさそうだろう。売れたらむしろ嫌だし。
そのせいか、どうもスポーツ系の人間が考えるマネジメントは、「内的モチベーションありき」のように感じる時がある。「やる気を出せ」とか「叱られたら発奮せよ」とか、私のような非スポなニートには、どうもピンと来ない。出せって言われて出るやる気は、はたしてやる気なのか。叱られても発奮しなければならないのは、なぜなのか。内的モチベーション(スポーツで秀でたい、試合に勝ちたい、強くなりたい)がハッキリしていればこそ叱られて発奮するかもしれないが、それがないのに発奮するというのは、そもそもありうるのか。
内的モチベーションを高めるという点に関しては、スポーツ系マネジメントはどうも無頓着であるという気がする。内的モチベーションがあって当たり前、そこから成果を出してなんぼ、という発想は、ちょっと世間の実情に沿わないのじゃなかろうか。世間で非スポのニートがどのくらいいるのか知らないが。