赤坂ポートカフェで行われた武藤貴宏氏のトークショーに行ってきた。
◆3/25 武藤貴宏トークショー@ 赤坂港カフェ
武藤氏は今をときめく「我武者羅應援團」の主宰リーダー。彼がとりとめもなく思うところを語るという緩い感じの会だったわけだけれども、かなり含蓄が深く、面白い話を聞くことができた。
トークショーが始まる前に武藤氏と話していたら、「自分は植村直己に強い影響を受けたんだけれども、みんな植村直己を知っている?」と心配そう。私は国語の教科書で植村直己の書いたものを見た覚えがあったんだけれど、私以外に教科書で読んだという人はいなかった。結局トークショーでは植村直己について触れられなかったので、どうも知名度が低いと判断されたみたい。webで検索してみると、教科書に載っていたのはたぶん間違いないんだけれど。でも私より若い世代の人たちは、あまり知らないかもしれないな……。
武藤氏は「高校1年生の春、2週間で応援団から逃げた経験」が自分の中で長いことひっかかっていて、それに向き合うことで我武者羅応援団を始めることになったという。そんなエピソードを語りながら、自分の中のネガティブな部分が、ポジティブな部分につながっていることを語っていた。
ちょうど引っ張られたパチンコのように、勢いよく飛ぶためには後ろに強く引っ張られることが必要になる。ネガティブな自分がいればこそ、すごくエネルギッシュな自分もいるのだという。だからネガティブな自分も否定しないでいいのではないかとのこと。
「自分は非常につまらないヤツなんだけれども」と繰り返し前置きしながら、そのつまらない自分を肯定する姿勢は、好感が持てるし、一種の余裕というか、安定感、強さのようなものを感じる。
たしかに、人を大切にできない時というのは、「自分の価値観」に縛られている時が多いような気がする。それを「箱に入っている」と表現しているのかな、という風に私は理解した。
印象的だったのは最後に語っていた「祈り」に関する話。最近、登山家とキックボクサーを応援しに行ったのだが、その両方に共通していたのが「祈る」ということだった。彼らは登山において、あるいは試合において「死」と隣り合わせにいる。死を避けるために祈らずにはいられない、そういう状況に置かれている。死を意識するということはすなわち生を意識することにほかならない。彼らがそうして「祈る」というのは、本当に生の実感を持っているということではないか、自分もそのように、一瞬一瞬に生の実感を持って生きていきたいと語っていた。高解像度のデジカメのように、きめこまかい、隅々まで鮮明な人生を生きたいのに、実際の自分は貧相な粗い解像度で人生をのんべんだらりと生きている。解像度の高い、感度の高い「生」を過ごしたい、と締めくくった。
私がこの「祈り」の話で思い出したのは、「ミッションステートメント作成のための10の質問」というwebの記事だった。
ミッションステートメント作成のための10の質問 – *ListFreak
これは自分が本当にやりたいことを洗い出すための10の質問なんだけれど、そのうちの一つに「あと6ヶ月しか生きられないとしたら何をするか?」というのがある。それ以外にも「何をやっても絶対に失敗しないとしたら、何をするか?」など、ちょっとドキッとさせられる質問がある。
そんなことなどあれこれ想起させられながら、楽しく時間を過ごすことができた。
◆参考URL
http://akasaka.keizai.biz/headline/239/trackback.html