そもそも結婚というのは多様性がカギであって、私とカミさんの結婚はあなたの結婚とは細部から概要から全部が違っている。だから私の結婚の経験は参考にならないし、誰の結婚経験であっても参考にはならない。よほど結婚を何回も繰り返したベテランでもあるまいし、経験に基づくアドバイスは、本人にしか適用されないという弱点がある。だから私の経験から何かを語ろうとは思わない。
ところで、私は結婚について、ある信念というか、結婚観を頑なに保持している。これは結婚を経験する前から、経験した後にも変わらない、確固たる結婚観である。これは、経験によらないものだから、もしかしたら、他の誰かにも参考になるかもしれない。
結婚が長続きするコツがあるとしたら、それは、結婚を辛く哀しい人生の墓場だと考えることだ。私はそう思う。
私の友人(特に女性)のけっこう多い割合が、結婚を楽しく、豊かで、ハッピーで、そしてちょっぴりラクなものだと考えているように思う。彼らは、大好きな人と週1回会えるだけでこんなに幸せなのだから、週7回会えたら7倍は幸せだろう、と考える。二人でいれば毎日が楽しく、家賃は半分になり、そして家事の面倒な部分は相手が全部やってくれると(無意識のうちに)期待する。結婚の楽しそうな側面しか見ない。無邪気なものだ。
むろん、先に述べたように結婚とは多様性のあるものだから、そんな幸福な(あるいは幸運な)結婚があることも否定しない。が、ほとんどの場合、その期待は裏切られることになる。
週7回会う(というか朝から晩まで一緒)ということは、「喜び」から「ただの習慣」になり下がるということだ。自由になるお金は減り、自由になる時間は減り、家事は分担されるが、2倍になっているので量は変わらない(相手が部屋を散らかし放題の場合、家事の負担分はむしろ増える)。食事の好みは衝突し、新居はこれまで住んだ家よりも使いにくく、近所にはコンビニがない。深夜の散歩もできないし、友達と外泊するにも許可がいる(許可がおりないことさえある!)。専業主婦だからといって、例外ではない、苦労がないなんてことはありえない。
結婚して「こんなはずじゃなかった」と言う人は多いが、その理由をよく考えてみれば、元々の予測があまりに楽観的過ぎるのだ。「楽しいことばかりの結婚」なんて、そんなのあるはずがない。
「愛しているから結婚するのではない、愛するために結婚するのだ」と言った人がある。けだし名言だが、私なら「苦労するために結婚するのだ」と言う。結婚すれば苦労が増える。それは私の目には明らかで当たり前のことのように思われる。ビジネスで、起業をする時に、ラクで楽しいから起業する、なんて人はいないだろう。結婚は家を一つ興すことであるから、ラクで楽しいわけがない。責任もあるし苦労もある。
結婚するメリットとか、楽しいことを数えている人は、どうもそういうことがよくわかっていないのではないかと思う。
結婚とは深い沼地であり、鬱蒼と茂る闇の森である。歩けば泥に沈み、足どりは湿って重く、木々の枝が肌をひっかき、目をこらしても先は見えない。辛く、重苦しく、哀しい時間だけが積み重なる。ある信頼すべき筋によれば、いわゆる「婚姻届」にはバカには見えない文字でこう書かれているそうだ。
「この門を入る者、一切の希望を捨てよ」
ただし――結婚すれば苦労が増える、とわかっていて、それでもなお「この人とだったら結婚したい」と思うようなら、その結婚には希望がある。「この人と一緒にいられるんだったら、その苦労甘んじて受けよう」と思うのなら、結婚をすればいいと思う。結婚のメリットは唯一無二、「その人と一緒にいられること」だ。それ以外の苦労すべてと引き替えにしていいと思うなら、結婚したらいい。
もしその伴侶が、自分と一緒に戦ってくれる決意をしてくれるのなら、ますます心強い。辛くて苦労する結婚を、二人で協力して切り開いていく覚悟があるのなら、少しは持ちこたえられるかもしれない。(夫婦が協力するのは当たり前のことだと思うかもしれない。でも、実に多くの夫婦が、結婚した後で、自分が家の中に敵を招き入れてしまったことに気づく。常に本当に自分に味方してくれる伴侶というのは、実に得難い)
以上が私の結婚観で、これから結婚する人への私からの親身のアドバイスである。
結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
――キルケゴール