写真は普通、「被写体」と「カメラマン」で成立する。しかしそこにもし「第三の男」がいたとしたら……?
というミステリがあるかどうかは知らないけれど、パーティにおける私の立ち位置はまさにその「第三の男」で、一言で言い換えるなら「素人カメラマン」ということになる。頼まれてもいないのにカメラを持って歩き回る係だ。
結婚パーティに出席した経験はあまり多くないのだけれど、いつしか、参加する時にはカメラを持っていって勝手に撮影するようになった。誰だってデジカメで撮影くらいするけれど、私はコース料理をほったらかしてまで会場を歩き回り、撮影する。2005年、会社の元同期の結婚パーティでも勝手に撮影をしてベストショットをたたき出し、奥さんに大変喜ばれた記憶があるので、その頃には既に勝手に撮影をしていたようだ。(当時はCyberShot L1を買ったばかりだった)。
私が結婚パーティで勝手に撮影をする理由は、いたってシンプルで、「他にやることがない」からだ。中には非常に趣向を凝らした、観客の参加を期待するパーティもあるけれど、たいていのパーティでは、座って食事をして余興を見ていればパーティが終わる。私はそんなに長くは座っていられない。何の理由もなく歩き回っているのでは落ち着きのない子供だから、カメラという口実で、好きなところへ歩き回る。カメラ、それも比較的大きなカメラを持っている人間がどんなに歩き回っていても、人は大目に見てくれる。一種の免罪符というわけで。たまにはメインのカメラマンに間違われることもある。お客さん、こんな軽いカメラを持っているカメラマンなんて、居ませんよ。バウンスできるフラッシュの一つもないなんて。
そんないい加減で手前勝手な素人カメラマンだけれど、第三の男には第三の男なりの、ポリシーというものがある。
1.カメラマンの邪魔をしない
メインのカメラマンは実に責任の重たい職業で、パーティにおける「決定的瞬間」を、間違いなく確実に撮影する義務を負っている。一生のうち一度しかないイベントで、やり直しのきかない出来事を撮影しているのだ。「ちょっと、写真がブレちゃったので、入場をやり直して下さい」とか「露光がうまくいかなかったので、ケーキカットをもう一度」というわけにはいかない。
そういうわけだから、素人がカメラマンの邪魔をしてはいけない。カメラの持ち方もわからん素人がベストポジションを占領し、メインカメラマンが後塵を拝するなどあってはならない。
2.カメラマンと同じ構図で撮らない
ベストショットというのは定番が決まっているので、似たような感じになってしまうことがある。たとえばケーキカットのシーンは、誰もが正面から、二人の表情を撮りたい。でもカメラマンと同じ構図で同じように撮ったなら、カメラマンの写真の方がいいに決まっている。だったら、素人カメラマンが撮る意味がない。ここは、敢えて定番を「外す」べきだ。
カメラマンが被写体の近くなら、ロングへ逃げて会場の雰囲気を撮る。カメラマンが正面から撮るなら、敢えて横から撮る。あるいは手元にズームする。そうやってカメラマンが(あるいは素人も)撮らないような写真を撮っておくことで、会場の雰囲気を多面的に残すことができる。
3.人が撮っていないところを撮る
「カメラマンと同じ構図で撮らない」にも通じるけれど、人が撮っていないところを敢えて撮る、という天の邪鬼な性質が、時には役に立つ。これはなかなか訓練が必要で、精神のどこかで常にカメラに意識を保ち、「人が撮っていない」というInactiveな状態を認識しなければならない。「撮る」というActiveなものを認識することはたやすいが、「撮ってない」というInactiveな状態を認識するのはちょっと慣れがいる。
たとえば、注意して見ると、「新郎新婦を囲んだグループ写真」の前後では、誰一人として撮影をしていないことがわかる。撮影されるのは「はい、チーズ」の一瞬で、いいところ2枚である(それ以上は同じ構図なので時間の無駄だ。「自分のデジカメで撮って欲しい」など無意味にもほどがある)。
実際には、撮影の前のガヤガヤと集まってきて新郎新婦に語りかける様子、立ち位置、そして撮影後の立ち去り方に、その人となりや気質が表現されており、実に味わいのある瞬間なのだが、この前後を撮ろうという人間はほとんどいない。フィルムが有限でハイコストのフィルムカメラならともかく、異常に低コストのデジカメでここを撮らず枚数をケチるのは実にもったいない。
『美味しんぼ』でいえば、15巻の「究極の裏メニュー」談義で、大原社主がアジの干物の骨の周りのアミノ酸が凝固した旨いところを喰わないヤツが実に多い、と嘆くが、それと同じもったいなさがある(たとえが異常にわかりづらいことは、わかった、謝ろう)。
「新郎新婦が見たものを残す」
私が撮影の上で気にしていることは、まだいくつかある。
「新郎新婦が見たものを残す」はポリシーというより個人的なテーマ。以前恥ずかしながら披露宴の主役だったことがあり、その時に「見たもの全部が写真に残ればいいのになぁ」と思った。あと20年もすれば人間の視覚野を外部から読み取って映像情報にして記録する、「見たままカメラ」が登場するだろうが、それまではなかなか「見たものをそのまま」というのは難しい。難しいなりに、できることはやろう。
というわけで、私は「新郎新婦を撮る」よりは、できるだけ「新郎新婦の見たものを撮る」ようにしている。できれば新郎新婦の背後に陣取って、彼らの見た風景を残したい。それ以外の風景は、もう、会場の君たちに任せた。
そんなことを考えながら、今日も今日とて友人の結婚パーティに参列。おめでと。
18時~21時の間に撮影した枚数は、ほぼ500枚でした。撮りすぎだろJK。