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救いのない結末 ――ドラッカーを知らない私から

以下のような詩が、ネット上でよく紹介されている。

もう一度人生をやり直せるなら……
今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら……
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ……
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
――P.F.ドラッカー(享年95歳)

……どうだろう? あなたは、どう感じただろうか。

私は、この文章を読んだ時に、感銘を覚えた。……と同時に、違和感を覚えた。

この言葉がドラッカーの作だというのは、どうも出来過ぎている。

ドラッカーといえば、経営学の大家である(たぶん。例によって、読んだことないのでね)。その彼が、こんなにユルいことを言うのは意外だし、意外だからこそ、説得力がある。
――そこが臭い。

彼の著作は知らないが、彼の名言といわれるものはしばしば目にする。その中には「アイスクリーム」は登場しない。「リラックス」なんてことを重視するタイプにも見えない。
晩年になって人が変わったということなら、著作にもそれが現れるだろう。あるいはそうした情報というのは印象深いので、どこかに残って、作品と一緒に伝えられる。それがないのに、この詩だけが生き残るのは、奇妙だ。

試しにGoogleで検索をしてみても、同じ「引用の引用」が続く。これだけ引用が続くと、やっぱりドラッカーで正しいのかしらという弱気な考えが頭をもたげてくる。何ページか検索結果をめくって、ようやく真偽を論じたサイトを見つけた。やはり、真偽に疑念を抱いた人がいたのだ。

ドラッカーの詩と称されているモノは本当にドラッカー? – とあるかえるのつぶやき
→もう一度人生をやり直せるなら・・・・ – 陽子ママのいつも愛してる

というわけで、こちらのサイトが一番詳しい検証をしている。

サイコドクターぶらり旅 – 「95歳の老人の詩」の本当の作者

ドン・ヘロルドという人の詩を元に、メルマガの情報がごっちゃになって改変されたものらしい。

文章自体の感動的なことには違いないし、悪意なく引用を続ける人たちを責めるつもりは毛頭無い。だが、「あのドラッカーが言うからこそ」この文章がいい、と考える人たちには、正しく事実を知って欲しい。この文章が感動的なのは、ドラッカーとは無関係のところにある。

この詩を見た人が「ドラッカーってこんな考えの人だったのね」とかいうのを見るにつけ、胸が痛い。
文筆家の端くれとして、こんな仕打ちには耐えられない。

ドラッカーが一生を賭して書いた主張が、死後何年か経って勝手に別の誰かの詩に置き換えられ、これがドラッカーの言いたかったことだ、と納得されてしまったら、彼の生涯の主張は何の意味があったのだろう。これじゃ風評被害も同然だ。

私はドラッカーに何の思い入れもないし、関連著作を読んだことさえない。でも彼の主張を愛するはずの人たちが、他愛もないデマに流されてあっさり彼のことを誤解していくなんて、あんまり孤独な、救いのない結末じゃないか。

ピーター・ドラッカー – Wikipedia

救いのない結末 ――ドラッカーを知らない私から
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