戌の話

「戌はその夜何もしませんでしたよ」
「それが奇妙だというのです」
探偵は言った。刑事は首を傾げる。
「というと…?」
「侵入者を見つけたら戌は騒ぐはずです。それなのに、まったく騒がなかったということは…」
「そうか! 内部の者の犯行ということか」
「違います」
「違う? しかし」
「戌は騒ごうとしたのです。しかし騒ぐことができなかった。戌は声を奪われていたからです」
「声を奪われていた?」
「魔女によって、声を奪われていたのです!」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ」
いかにも即物的な表情の刑事は頭をかいた。
「魔女なんて、そんな非現実的な…仮に魔女がいたとして何で戌の声を」
「戌がそれを望んだからです。戌は自ら声を差し出した…あなたのためですよ、刑事さん」
探偵が合図をすると、ドアが開いて美しい女性が入って来た。刑事は女性の顔を見てハッとした。
「彼女は…溺れかけた私の命を救ってくれた…」
「そうです。彼女はあなたへの恋しさのあまり、魔女に声を差し出し、人になることを願った。月が出ている間だけ人の姿になることができるのです。だが声は魔女にとられて出せない。だから侵入者にも騒ぐことができなかったのです」
「そうだったのか…」
「魔女は私が懲らしめておきました。声は取り戻してあります」
「探偵さん、本当にありがとうございます」
探偵と助手は二人を残して部屋を出た。
「いやー、よくこんな難事件が解決できたね」
「なぁに、基本的な事だよ。あの戌が縄張りを主張しなかったのを見て気づいたんだ、雌犬だとね。あり得ないものを除いて残ったものが真実なのさ。そうだろう?」

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