ifのコペルニクス的転回 または 通りすがりの親切な誰かが教えてくれる(よね?)

「すっごく覚えているんだけど、もう何が出典だったか思い出せない」という知識は多い。もっと昔っから、詳細にメモをとる習慣があったらなぁ。でも仕方がないので、今はいろいろメモっていかなくちゃ。
幸い、Googleさんが「すべての情報をインデックス化する」という野望を推進しているおかげで、ググって見つかった知識も多い。(一方今後は、Evernoteさんの「すべてを記憶する」のおかげでメモって生きていける)

そう、一個、どうしても思い出せなくて気になっている小説がある。といっても、ちゃんと読んだことはなくて(またお前か!)、あらすじ紹介を読んだだけなんだけど。たしか、何かの新書であらすじが紹介されていて、それを読んで「な、なるほど!」と衝撃を受けて、それ以来、人生の見かたがちょっと変わったというくらい影響力の大きかった話なのだが

出典忘れた。

そして、その新書がまだ自宅のどこかに転がっているのか、実家のどこかに転がっているのか、処分しちゃったのか、それさえ忘れた。
そのうち、自宅がどこだったのか、とか、新書って何だっけ、とか、もがみって誰? とか、何もかも忘れてしまうに違いない。このブログの事も忘れてしまうのかナ。

たしか講談社現代新書だったような気がする。そしてジョークだったかユーモアだったかの本だった気がする。
と思って、『ジョークとトリック』を本屋で立ち読みして中身をさらってみたんだけれど、見つからない。これ自体はたしかに読んだ本なんだけど。うーん、立ち読みじゃ見つからないのか。詳細に読んだらあるのかな。新書だったのは確かな気がするし、私あまり新書をあれこれ読んだりしないので、たぶん講談社現代新書だったような気がするんだけど。

でも、大丈夫。ブログに書いておけば、通りすがりの親切な誰かが教えてくれる。人力検索の素晴らしさ。

 ジミーは助けられたとき、トランプをひと組もっていた。そしてのちに、それはサバイバルの道具のひとつだと説明したのだった。
こんなふうにだ。「まず第一に、迷子になったとき、腰を下ろしてひとり遊びがやれるだろ。じきに、だれかが通りかかって――」
「赤のジャックに黒の十を乗せろと教えてくれる。そのジョークなら知ってるよ」
――ロバート・A・ハインライン『ルナ・ゲートの彼方』

閑話休題。

探している小説のあらすじは、こうだ。たしかアメリカかイギリスの小説だった気がする。細部が違うのはご愛敬。骨子だけね。

ある男女が恋に落ちる。しかし身分違いの恋で、二人の仲は引き裂かれ、女は年上の金持ちに嫁がされてしまい、男は男で別の妻をめとるハメになる。そして以後一生二人は出会うことがないのだけれど、折に触れてお互いのことを思い出し、「ああ、あの時、あの人と一緒になっていたら、こんな男と暮らさずに幸せだっただろうに」「ああ、あの女性はいまどこにいるだろう。彼女と一緒になれていたらよかった」と考えて余生を過ごす。

……ここまでだったら、ただの恋愛小説なんだけど、この小説の恐るべきコペルニクス的転回はここから始まる。

章を変えて、物語は二人が出会った頃に遡る。そして別れない。二人は手に手を取って駆け落ちをし、ついに一緒になる。ここからはifの物語が始まる……

つまり、小説の前半では「一緒にならなかった人生」を描き、小説の後半では「一緒になった人生」を描くという、アナザーストーリーというかマルチエンディングというか、すげー展開になるのであった。
さらに酷いことに、この二人、一緒に不幸になってゆく。男は次第に貧乏暮らしに嫌気が差し、女は女で気持ちが冷めていき、互いに相手を疎ましく思うようになり……という、皮肉たっぷりの結末。

前半では、あんなに愛し合い、互いを夢見ていた二人が、後半では、一緒になったがために、いがみあい不幸になってゆく。
「あなたが妄想する幸せは、現実ではない」という痛烈なメッセージ。

現実がうまくいかないときに、人は現実逃避をする。「ああ、あの時、ああしていたら、もっと幸せだったはず……」とifの世界に遊ぶとき、人は驚くほど楽観的だ。最悪の結果を無視してかかる。だけれどそれがもし本当に現実になったら……それは途端に日常になり、思いもよらない問題が次々とやってきて、あなたを幸福なままにはしておかない。より悪い結果になることもあろう。それは誰にも判断できない。

この小説(のあらすじ)を読んだ時(たぶん20代?)、けっこうショックを受けた。少なからず、“妄想に逃げがち”な若者だったのだろう。自分がしていた妄想が、いかに現実味がなく、間抜けかということを鼻にこすりつけられた感じがした。
それ以来、妄想をすることをやめたわけではないが(おぃ)妄想をするにも見かたが変わった。「ああしていたら、幸福だっただろう」とは思わなくなった。「ああしていたら、そしたら、どんな別の問題に遭遇していたかしら」と思うようになった。

こうした考え方の副産物の一つは、ほとんどの問題は自分にあると理解したことだ。今ある外部要因を「if」で変えたらどんな別の問題に遭遇するか……というと、結局自分の問題に再遭遇するのだという気がしてきた。自分自身の問題を解決しないと、再び同じ問題が自分の前に立ちはだかってくるのだ。

こんな思想の転換(妄想の転換?)を自分にもたらした小説なので、一度ちゃんと読んでみたいと思っているんだけど、はて、誰のなんという新書に紹介されていた、誰のなんという小説だったのかしら。
心当たりの方は、どうか教えて下さいまし。

ifのコペルニクス的転回 または 通りすがりの親切な誰かが教えてくれる(よね?)

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