本屋で、本多勝一による若い人向けの文章の書き方の本を見かけた。Amazonのレビューによれば、もともとあった文章の書き方についての本を、ビギナー向けに再編したものらしい。学生時代、本多勝一などの評論って、読むの好きじゃなかったんだけど、でもさすが、本の中身はよくできてました。いかにも評論畑の人っぽい、文章構築に関する明快で論理的な説明でした。
私がぱらっと立ち読みしたのは、「AがBにCを紹介する」という文章について説明した箇所。普通日本語は英語などに比べて「語順は比較的自由」とされていて、「BにAがCを」でも「CをBにAが」でも文法的には問題ない、ということになっている。ここまではほぼ常識的に言われている範囲だが、本多勝一はそこからもう一歩踏み込んだ説明を続けている。
たとえば「美しいBに」とか「なかなか美男子のCを」とか形容を追加すると、必ずしも順不同にはならない。文法的には間違いではないのだが、しかし修飾関係に混乱を生じたり、語呂が悪くなったりする。そこで、どの順番がいいのか判断しなければならないわけだ。
そうしたことを文章家は呼吸をするように考えているわけだけど、人にうまく説明するのはなかなか難しい。本多勝一の本は、その難しい説明に挑戦しているわけで、なかなかいい本のように見受けられた。ただ延々と文章構築のそうしたノウハウを理詰めで説明されるのは、理工系の講義を聞いているようでなかなかしんどいものはあるけどね。
最近、友人のサイトなどを回っていて「文章をよくするにはどうしたらいいんでしょう?」という話を異なる2ヵ所で見かけた。文章の修練はホントに難しい。母国語というのは思考と結びついている面もあるし、なにせ、人生通じて毎日使ってきているわけで、30歳の人なら30年間のクセというものが身にしみてしまっている。今さら1ヵ月やそこらで、そのクセを直せというのは無理な話である。
ただ私は、文章力を改善するということについて、必ずしも悲観的ではない。可能ではある。ただ「英語と学ぶ」とか「料理を学ぶ」というようにはいかない、ということだ。それはむしろ「習字を学ぶ」に近いだろう。
「英語/料理を学ぶ」というのは、知識の獲得であり、技能の習得である。それは「知らない」ものを「知っている」に変える作業だ。だが「習字/文章の書き方を学ぶ」というのは、そうではない。誰でも字を書き、文章をつづることはできる。美しくはできない、ということだ。だから自分の悪いクセを矯正する、根気の要る作業になる。
ちなみにその本多勝一の本はこちら。
立ち読みしかしてないので、この投稿のタイトルは「文章の修練」ということに。
※「Solitairescope:文章の修練 – livedoor Blog(ブログ)」より一部修正・転載。