先日、友人からゲームブック風のTweetをもらったがために、ゲームブックという単語が頭の中で活性化されている。同世代の友だちも多くゲームブックに影響を受けているようで、反響も盛んだ。いろんなシリーズの話題や、復刊の話題など。
私がなぜ、ゲームブックに出会ったのか、今でもわからない。それは、小学校5年生のある日に読んだ、朝日新聞の書評欄だった、という記憶は、びっくりするくらい明瞭だ。そんなに明瞭に記憶している出会いなんて、めったにないんだけれど。
そもそも小学生の時に、新聞なんて読んでたんだっけ? いや、そんなはずはないな。今に至るまでずっと新聞に興味を持てずにいるのに、5年生の頃に興味を持っていたとは思えない。でも、家ではとっていたから、いつでも読もうと思えば読めた。日曜版だけは、何か面白い文化面の話が多くて読んでいた気がするから、もしかしたらそこに書評があったのか。いや、書評は日曜版じゃなかった気がするな。
ともかく、何のきまぐれか、たまたまか、私は朝日新聞に掲載されていた『火吹山の魔法使い』の書評を読んだ。書評ってほどじゃないな。新刊案内だったと思う。一段だけの紹介文だった。それなのに、どういうわけだか、どうしたわけだか、私はそれにひどく興味を持って、父親にわざわざ報告までしたのを覚えている。この本が面白そう、とか何かそんなことを父親に言った気がする。
小学5年生にそこまで興味を持たせるなんて、どんだけすごい紹介文だったんだろう。古い記録を探したら、見つけることができるだろうか。出版日と照らし合わせれば紹介文が掲載された日付はおおよそ特定できるから、根気よくやれば見つけられるだろう。いつかヒマで仕方なくなったら、やってみようか。あるいは誰かヒマな人に頼んでみるか。(そういえば、たしかソーサリー!の『魔法使いの丘』も新聞で見つけた気がする)
次の週末には(もしかしたら新聞を見た翌日だったかもしれないが)、私は天神の紀伊國屋書店に自転車で走っていって、もう『火吹山の魔法使い』を手に入れていた。これも不思議だ。その頃の私のお小遣いなんて、たぶん1000円か500円しかなかっただろうに。480円の本をよく躊躇せず手に入れられたものだ。よほど欲しかったのだろう。
こうして私は『火吹山の魔法使い』を手に入れ、すり切れるほど遊んだ。兄二人もけっこうやっていた。兄は最終的には精密な地図を作成し、攻略ルートを割り出した。訳のすばらしさといい、イラストの雰囲気といい、本当に素晴らしくわくわくする本だった。
その後『ファイティング・ファンタジー』『ソーサリー!』そしてJ.H.ブレナンの円卓/ピップシリーズも読みあさった。創元推理文庫の国産やホビージャパンのはあんまり肌に合わなかったかなぁ。社会思想社の月刊誌『ウォーロック』も買っていた。当然のように、TRPGもやった。『D&D』や『T&T』や『ソード・ワールドRPG』とか。
中学校高校くらいまで、私の人生のけっこう大きな部分をゲームブックが占めていた。
実を言うとHTMLを覚えた辺りで「ハイパーリンクってゲームブック向きの仕組みだなー」と思って短い作品を書いたりもした。今ゲームブックを書こうと思ったら、どうだろう。パソコンのソフトも発達しているし、ゲームブックを書くのもずいぶん効率よくできるんじゃないだろうか。
FreeMindなどMindMap系のツールを使えばいいんだろうか。それともyEdやOpenOffice Drawみたいな、ノード中心の描画ツールを着くって、コネクタでフローチャートを書いていけばいい?
いろいろ方法はありそうだ。
システムは、あんまり凝らなくていい気がする。自分自身、サイコロを降るヒマもない。ただの分岐小説で私には十分、ワクワクする。
媒体も紙でなくていいかもしれない。
書いてみたいなぁ、ゲームブック。