文章力の根本

「文章を指南する」と言ったときに、何種類かの方法があると思う。
A心構え、一般論、自分が気に留めていることなどを語る。(演繹的)
B文章の練習方法、鍛錬方法、日課にする方法、練習メニューを教える。
C実際に書いた文章を添削する。(帰納的)


上に行くほど演繹的つまり原則論で、下に行くほど帰納的つまり実地ベースの話になる。実際に書いた文章を添削するのはそれこそ文章塾ででもないと難しいので、頻繁に目にするものは上の二つ、
A心構え、一般論、自分が気に留めていることなどを語る。(演繹的)
B文章の練習方法、鍛錬方法、日課にする方法、練習メニューを教える。(帰納的)
の、どちらかであることが多い。
文章を教える側はAの原則論を教える場合が多く、教わる側はBの練習メニューを教わりたがる傾向があるように思う。
個人的には、Aありきだと思うのだがどうだろう。Aは往々にして文章の方向性を決めるもので、それに基づいてBがある。逆にAのような方向性がないまま、Bをしようとすると、これはなかなか続かないのではないか。文章の苦手な人は「文法的な正しい文章」を求めているのかもしれないが、文章が文法的であることと、よい文章とは必ずしも一致しないように思う。文法というのにはある程度の幅があり、答えが一つではない。だからAが求める方向性があって、それに沿った文法を身につけるためにBがある、ということではないだろうか。
ちなみにAとして私が気に留めているものは以下のようなものである。

・字引を片手に、誤字脱字のないよう丁寧に書くこと。そうすれば文章には自然とあなたの良い面がにじみ出て、よい文章になる。――星新一氏のエッセイ(出典忘れた)より
・(作家に向いている人間とは)面白いジョークを聞いた時に、「よし、これを覚えて誰かに話してやろう」と思う人間である。――星新一氏のエッセイ(出典忘れた)より
・助詞「の」は多義的で曖昧なのでできるだけ頼らない。――学校の教科書(出典忘れた)
・(難しい言葉で書くよりも)かんたんな言葉で書く方が難しい。――星新一著書の巻末にあった新井素子氏の解説より(出典忘れた)
・私は、この目で見たことを書いたりしない、そんなものは、誰の手になっても大同小異である。ただ、私が夢見たことを書くのみだ。――ロード・ダンセイニ
・日本語は論理的な言語ではないという人がいるが、そんなことはない。論理的に書くことはできる。特に句読点の使い方が重要だ。――予備校の国語教師の授業から
・「でも、お願いだからさ、父さん、僕たちお互い、人を笑わせるようなものを書こうよね、お金になんかならなくてもいいからさ。だって、人々が笑わなかったら、人生なんて何の意味もありゃしないじゃない?」
――ウィリアム・サローヤン『パパ・ユーア・クレイジー』より

どうもこういう原初のテーマというのは、かなり早期に根付いたものが多いようで、出典がわからなくなってしまっているものが多い。そのため文言も必ずしも正確ではないがご容赦願いたい。
ちなみに、こういった精神論ではなく文章の文法的な部分については、本多 勝一氏の『中学生からの作文技術』(朝日選書)が比較的良書であるような気がする。

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