無知を恥じない人たち/爆発のとき

原発関連のニュースやその反応を見るにつけ、理解できないものに拒否反応を示したり、批判的だったり懐疑的だったりする人が多いんだなぁ、と思う。
もともとこういう物理学なんていうのは、難しいもんなんだから、最後にゃ専門家の言うことを信じた方がいいんじゃないかと思うけれど。もちろん真偽のチェックは必要にせよ。


自分から取りに行きさえすれば、今回はけっこう情報も開示されているし、解説サイトなどもあるんだけど、そういう人はいくら情報をもらって丁寧な解説をされても「わからない」「信じられない」と言うのじゃないかと邪推している。問題は、情報だとか説明だとかではなく、本人の「人を信じる能力」や「理解力」の問題であるのだ、きっと。
こういう人たちは(なぜかわからないが)「自分が理解できない」「信じられない」、ということを説明側の責任だと考えている。
理解できないのは、勉強不足ってことなんじゃないのか。信じられないのは人間不信ってことじゃないのか。説明しても理解できない人に、なおも説明しなきゃならんのだろうか。誰が「説明責任」なんて無責任な言葉を作ったのだろう。
かつては、知識とは自分で追い求めるものだった。求めなければ手に入らないものだった。義務教育だのなんだので、雛の口に餌を運ぶようなことを続けた結果、人は「誰かが教えてくれて当たり前」みたいな傲慢さを身につけてしまったのではないだろうか。甘えたことを言ってんじゃないよ。
これだけ説明をせがむ人間が増えたからには「原理を理解しない人間には、利益を享受させない仕組み」があった方がいいのじゃないかと思い始めた。原子力が理解できない人間には、原子力の利益を享受させない。文句も言わせない。太陽発電の原理を説明できない人間には、太陽発電を使わせない。そういう免許制にしよう。そしたらみんな必死で勉強するし、情報を理解できないのは自分の不勉強のせいだ、と恥じるようになるかもしれない。

さておき、以下の記事がTwitterで流れてきた時、
Togetter – 「SF作家別「原発事故をどう解決する」」
(著名人の多い)Twitterだけに、本物のSF作家たちが解決策を提示したのかと思ってワクテカ状態に陥ったが、実際はただのSFファンの妄想だった(笑) そりゃそうだ。作家だったら、大事な話のネタをTwitterで消費しちゃったりしないわな。酒の席でならともかく。
ハインラインは『デリラと宇宙野郎たち』収録の短編「爆発のとき」で、原子炉(増殖炉)問題を扱って一つの解決を提示している。未来をリアルに予測するという意味では、この作品も悪夢のように真実だ。
その解決方法が現実になるかどうか……はご自分で読んで確認していただきたい。絶版みたいだけど。
2011-03-21 追記:
アテネの民主主義が頂点に達した後に来たのは、デマゴーグ(扇動的指導者)による衆愚政治だった。民主主義はデマや扇動に弱いのだ。一人一人がきちんとした知識を持つことによってのみ、デマや扇動を抑え、民主主義を活かすことができる。

無知を恥じない人たち/爆発のとき