小津安二郎『その夜の妻』

御園生涼子「映画と国民国家――映画を政治の言葉で語るのは野蛮か?」 上映+トークセッションで上映された小津安二郎『その夜の妻』の感想。
→「映画と国民国家――映画を政治の言葉で語るのは野蛮か?」上映+トークセッション | オーディトリウム渋谷

タイトルから何かラブドラマのようなものを想像していたが実際はクライム・サスペンス・スリラー・家族愛であった。モノクロサイレント映画
その夜の妻 – Wikipedia

噂に名高い「小津映画」というのを見るのは実のところこれが初。しかもサイレントと聞いて不安は高まる一方……というのは杞憂であった。これは、実に面白くって、しかもサイレント映画特有の劇場内の緊張感というのもあいまって、なかなか良かった。何せBGMさえ存在しないので、どんな小さな物音も館内に響き渡る状態。息を潜めて、咳払いさえ控えめに画面を見つめるのは、なかなか普通の映画にはない経験であった。(おり悪く私はのどの調子が悪く、当日は咳き込みがちであった。あらかじめのど飴を買っていなかったら危なかった)。

さて物語は、一人の男が強盗をし遂げ、逃走するシーンから始まる。その一方で、とある家庭では一人の女――これが題名にある“妻”なわけだが――が、病床の娘の看病をしている様子が見てとれる。医者は今夜が一番危険でしょう……と告げて帰って行く。強盗をしでかした男は帰宅し、妻に銃と金を託しながら、娘が癒えたら自首して出ると告げる。そのとき玄関に物音。後を付けてきた刑事が部屋に上がり込んできたため、物陰に隠れる夫。横柄に部屋を歩き回って探る刑事、今にも夫が見つかりそうになった極限状態で、その時、妻は……

刑事が部屋に入ってから以後は、室内で3人が織りなす心理劇の要素が強い。短時間の間に二転三転する関係性はドラマチックで飽きさせない。

小津映画としては割と初期の作品ということだったけれど、その才能を十分に感じられる作品だった。またこの作品の後に行われた御園生女史の基調講演が、この作品の構造をつまびらかにしていて、興味深かった。
以下私なりの理解で換言させて頂く(というのはつまり意訳・翻案の類に他ならないので誤解があったら申し訳ない)一見すると無国籍的な人造世界を標榜するかのごときこの作品世界でさえ、実は男女の力関係、官民の権力構造といった俗世の構造を引きずっている。「和服の妻」という、もっともわかりやすく俗世的な価値観を体現した人物の暴挙によって、その俗世の構造がひっくり返されてしまう、という映画なのである云々。

映画を見た後に、こうやって映画研究の視点を知ることが出来る機会というのはなかなかない。面白かった!

小津安二郎『その夜の妻』

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