無知の罪/ホメオパスを笑えない

最近、ホメオパスがどうとかいう記事をwebでよく見かけるようになった。どうやら民間療法的な何かを信じた人が、誰かを死なせたり、あるいはギリギリ死なせ損なったりしているらしい。
無知とは罪なことだと思う。無知である、ということは、それだけで罪でありうる。いざというときの応急処置は何が正しいか。どうすれば健康に暮らすことができ、どうすれば健康に害なのか。正しい知識だというものがなければ、たやすく判断を誤る。それを防ぐためには、さまざまな知識を、教養として持っていなければならない。

別に、医学に限らない。この世の中、知らなければいけないことは多すぎる。詐欺に遭わないこと、法律に外れないこと、犯罪に巻き込まれないこと、病気を予防すること……。知らなければ、誰かを傷つけたり、無用の争いが起こったり、損をしたり、不幸をまき散らしたり、その手伝いをしてしまったり、という事態がたやすく起きる。

ところが残念なことに、無知でない人間などほとんどいないのだ。誰も、十分な知識など持っていない。我々は、「知っていなければならない」のだ。できるかどうかとは関係なく。

「(おまえにそれが)できるなんてわしはいっていないぞ」とハンプティ・ダンプティは答えます。「考えなければならないと、いっただけなんだ」
「でも、私ができないことを、私がしなければならないとおっしゃるのは、理屈に合わないんじゃなくって?」
「それは道徳哲学(倫理学)のおもしろい問題なんだ」とハンプティ・ダンプティは答えます。「でもそんなことに足を突っこんだら、本題をひどくはずれてしまうだろう」
――『パズルランドのアリス』レイモンド・M・スマリヤン

人は、怪しい医学にハマったりしないだけの知恵や知識は、持っていないといけない。でも、それができるなんて、誰にも言えないことだ。

>「「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
――ヨハネの福音書第8章7節

 

■一年前の日記
2009年08月25日
明日のためにその1
無知の罪/ホメオパスを笑えない

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