寅の話

年が明けると自分は既に寅と成っていた。しかし、何故こんな事になったのだろう。妻は首を傾げて言った。
初夢に何か悪い夢でも見たんじゃないの。
自分はしょんぼりしながら胃の辺りを押え、昨日見た夢を一つ一つ思い出してみたが心当りはなかった。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生き物の定めだ。


実は、たしかに、寅に成りたいと思ったことはあるかもしれない、と自分は認めた。アルフレッド・ベスターの、いや違った、ウィリアム・ブレイクだ。“虎よ虎よ、玉の緒の夜に”……“たまさかの夜に”……あれ? 何だっけ?
子供の頃、と自分は尚(なお)も言った。『セロ弾きのゴーシュ』を読んだ。子供向けに平仮名が使ってあって、ゴーシュが演奏する曲は“インドのとらがり”だった。自分はそれをヘアスタイルの“寅刈り”だとばかり思い込んでいた。インドの寅刈りは日本の寅刈りとどう違うんだろうと不審に思いながら、なぜヘアスタイルが曲名なのかは、とんと悩んでこなかった。だからこんな獣に身を堕すのだ。多分。
寅がいつものようにやくたいもない戯れ言をつぶやきながら、炬燵でお節をつまみ、お雑煮を頂いて、爪で牙の間をせせっていると、やおら、妻が訊ねた。
そんなになっちゃって、今年の抱負はどうするの。
抱負?  何だっけ。そういえば年末に何か誓ったような。
今年こそは文業に力を入れるって言ってたじゃないの。
あぁ何だ、そんなことか。(と寅は自虐的に嗤った)。寅となった今も記誦せるものが多少ある。何なら即興で、この寅になった心情を日記に書いてみせようか。
日記はいいから、小説を書いてよ。
寅は二声、三声咆哮したかと思うと、又、元の炬燵に躍り入って、再びその姿を見なかった。
※この物語は完全なフィクションです。実在の人物、団体、組織、事件、夫婦とは一切関係ありません。

2010-01-04追記:参考URL

中島敦 山月記@青空文庫
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李陵・山月記(Kindle版)¥326

2015-12-20(日)追記

年賀状の寅の話の話

■一年前の日記

寅の話

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