午の話


 走らない午がいた。その午は普通の午のように駆けることをせず、ひとところで跳ね、跳び回り、奇妙な足踏みを繰り返した。仲間の午たちは「あいつ、クレイジーになったんじゃないか」と噂しあった。

 午たちはみな規律正しく走ることを学んだ。並足、早足、駈け足といったことを学んで、外敵に備え早さを競い合うことに満足だった。ある日、一匹の若い午が件の奇妙な午をからかった。
「あんた、どうして走ろうとしないんだい。飛んだり跳ねたり、ちっとも前に進まないじゃないか」
「何故ってお前」
と、奇妙な午は、足を休めて吠えた。
「お前たちにゃ聞こえないか。この自然の音が。風の響きが。土の鳴る音が。水の調べが。」
「なんだって?」
午たちは丸い眼をさらに丸くした。この暴れ午が何を言い出したのか皆目見当が付かなかった。
「俺には聞こえるんだ、その音が。全部の重なりが。それを聞くと身体がむずむずして、なんともいたたまれない。ヒトはそれを“リズム”と呼ぶらしい。俺はそれを楽しんでいるんだ。これほど楽しいことはない」
午たちは落ち着かなくひづめをかいて、顔を見合わせた。してみると、それまでもその響きとやらを感じたことはあった。彼らの野生が、“リズム”とやらを直感的に理解していた。一匹がおずおずと口を開いた。
「分かるような気がする。ちょっとそのあんたがやってる“リズム”ってやつを、俺にも教えてもらえないか」
「俺にも」
「俺も」
奇妙な午は喜んでその知っていることを教えた。初めは身体の赴くままに、そして次第にあるタイミングで足を踏むことが、大きな喜びになること。足だけでなく、たてがみを振り、歯を鳴らし、声を上げることまでも喜びにつながること。次第に午たちの間には、この喜びを嗜むものが増えた。もう誰も、この午をクレイジーと呼ぶ者はいなかった。
それが人間たちの間で“踊り”と呼ばれるものだとわかるのは、ずっと後のことである。

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